教材や問題にどう取り組んでいくか、方法を確立することの重要性
私にはこんな経験があります。
某予備校のある国家資格の通信講座を申し込んだときのことです。
申し込み前は「よし、ひとつ、本気で取り組んでみよう。高いお金をかけるんだから、絶対に挫折しないぞ!」と、意気込んでいたのです。
しかし、いざ、心待ちにしていた教材を見てみると・・・
難しいことが書いてある。テキストや小テストみたいなものが入っている。少し、読んでみたが、全くの法律初心者には、何をいっているのかすら、よく理解できない。
この先、最後まで続けられるだろうか・・・
いきなり、弱気になりました。
それで、最初の意気込みは数日ですっかり消え失せてしまって、その後は、毎月送られてくる教材の束に、本当にうんざりしたものです。
高いお金を結果としてドブに捨ててしまった・・・
自分がすぐに挫折してしまった・・・
そんなときは、自分に対して本当に嫌な気持ちになりました。
確固たる自分のやり方がない状態で、気持ちもあっちこっちと気移りしました。それでは合格できるはずないですよね。
これは、何がいけなかったのでしょう?
やはり、自分が自己責任で申し込んだ教材への関わり方を知らなかった、わかりやすくいいますと、自分の納得できる学習法が確立されていなかったということです。
予備校は、合格するための知識や解法のテクニックを我々に与えてくれます。
でも、肝心な、どうやったら、それらの知識やテクニックが血肉になるのか?というところまでは、お世話してくれないのですね。
ちょっと考えればわかりそうなものです。
でも、その頃は、気づかなかったのですね。
とにかく資格を取りたかった私は、すぐにくじけてしまいそうになる通信ではなく、予備校に通学することにしたのです。
通学にすると、理解していようが、いまいが、とにかく出席さえすれば、教えてくれる内容に最後まで一通り触れることができます。
通信の場合は、それすらできなかった。買った状態のまま、真っ白。
でも、通学してみてわかったことは、全体像はなんとなくわかったけれど、それだけでは本試験には全然太刀打ちできないということです。
私が合格できたのは、某予備校の先生がおっしゃっていたある言葉を信じ、そのとおり行動した結果だと今でも信じています。
それは、 「いくらテキストや教本を一生懸命に読み込んでも、試験に合格する力は身につきません。
過去問をとにかくやってみて、わからないなりにも、解いていくうちに、断片化されていた知識がつながってきてそのうち、すらすら解けるようになります。」
過去問演習の開始を先延ばしにしていては、真の実力はつかないということなのですね。
でも、そうはいっても、問題を解こうにも基礎力が全くない状態では、解けるはずはありません。
不安になって、テキスト中心の学習をしがちになります。
だから、そうならないために、私は次のようなしくみが必要だと考えました。
@膨大な過去問の中から、己の弱点を、演習しながらにしてあぶりだすしくみ。
A徹底的に理解できるような形で自分に足りない知識を補足できるしくみ。
B記憶にすり込ませるために、自分が今、演習したいと考えている問題を自分のペースでトレーニングできるしくみ。
そして、身の回りを探しましたが、そういった「しくみ」は存在しなかったので、遠回りになるかもしれないけれど、自分で作ってみたのです。
そして、自分なりに信じることができる教材をこのソフトに入力して、演習中心の勉強法に変えてみたのです。
この目論見は、正しかったようで、合格という結果をもたらしました。
私は、テキストや参考書中心の学習から、過去問中心の学習に切り換えてから、「合格できそうだな」という気持ちの変化に気づき始めました。
自信がついてきたといったらよいでしょうか?
予備校や通信のテキストや問題がいかに優れていようとも、それらの知識を自分のものと するために、関わっていけるしくみはどうしても必要ですし、実は、そこが重要な部分だと私 は考えています。
ドカッと教材が送られてきても、また、予備校に高価なお金を掛けて通学するにしても、どうやって進めていったらわからなくては、せっかく価値ある知識やテクニックも、役に立てることはできないのですね。